大山捨松
この方、女性で初めて海外留学した人で
アメリカの大学を初めて卒業した日本人女性なんです。
幼名をさきといい
さきは会津藩の家老、山川家の末娘として生まれました。
生まれた時父は既に亡く、祖父、兵衛重英に育てられます。
8歳の時、この会津を中心とする奥羽列藩同盟を倒さんと
薩長を中心とする連合軍(明治新政府軍)が会津に攻めてきます。
会津はこの戦でボロボロに負けてしまいます。
会津藩は降伏し改易となります。
さきは函館、沢辺琢磨に里子に出され、
その後フランス人の家庭に引き取られます。
明治4年官費留学生になったさき
10年という長期の間いくことになり
母は懐剣を渡し「捨てたつもりでお前の帰りを待つ」と
さきを捨松と改名させます。
彼女はアメリカで高校、大学、そして看護師の免許もとる優秀な人物でした。
帰国後
就職先を探しますが海外生活が長く考え方や振る舞いがもはやアメリカ人
漢字も苦手で就職先がなかなか見つかりません。
ようやく家庭教師の職を得た頃縁談の話が持ち上がります。
その縁談相手は大山巌
会津を襲った憎き薩摩男です。
しかも会津戦争の時大砲を打ちまくった男です。
山川家は当然断ります。
が、長らくの説得の結果、捨松自身に判断させようと決まります。
捨松は会ってみないとわからないとデートを提案しました。
大山は喜びました!
が
いざデートになると大山は薩摩弁、捨松は会津弁
お互い何を言ってるのかさっぱりわかりません。
ここでなんとお互いフランス語で話し始めたのです。
大山は留学経験もあり話せるんですね。
2人は意気投合。
オシドリ夫婦になるのでした。
私はこのフランス語会話のシーンと
薩摩と会津の人が仲良くなった話がなんとも好きなんですね。
捨松の話はまだまだあるんですが今回はこの辺で・・