織田秀信
織田秀信・・
誰?と思われるかもしれませんが
この方信長の跡継ぎ信忠の嫡男
つまりは嫡嫡という正統な後継者なのです。
清須会議での「三法師」の方が有名かもしれませんね。
のちに洗礼をうけて「ペトロ」という名前も持っています。
長じては織田家のお城である岐阜13万石の領主になっています。
が、この方ほんとに信長の孫って思うくらいともかくグダグダなんです。
家康が会津征伐に赴く際、参陣を求められたんですが
なんとなんと「どの甲冑がいいかな~これ、いやこれか、やっぱこれか」
と悩みに悩み甲冑を決めたときには時すでに遅し
参陣に遅刻しました・・。
そのままいれば東軍なのに
家臣は止めるんですが石田三成側についちゃうんです。
そんなことで西軍として岐阜城を1万人弱の兵で守ることになります。
池田輝政、福島正則ら東軍の猛将たち約2万人が攻めてくるんですが
岐阜城は天然の要害!難攻不落のお城!さあ籠城だ!!
・・とはならず打って出ます。
負けます!
逃げます!
高野山に行きます!
が、祖父信長、仏教を迫害したせいで
散々にいじめられます。
そして追放されます。
そして26歳という若さで亡くなってしますのです。
何と悲しい悲劇
甲冑なんか選んでなければ…
と思ってしまうのは私だけでしょうか。